覚子内親王

覚子内親王
続柄 土御門天皇皇女

全名 覚子(かくし)
称号 正親町院
身位 内親王准三宮
出生 建保元年(1213年
死去 弘安8年8月23日(1285年9月23日)(享年73)
父親 土御門天皇
母親 源通子
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覚子内親王(かくしないしんのう、建保元年(1213年) - 弘安8年8月23日(1285年9月23日))は、鎌倉時代皇族女院土御門天皇の皇女。母は、源通宗の娘、通子。女院号は正親町院(おおぎまちいん)。

生涯

9歳の時、父院が承久の乱土佐国に移り、寛喜2年(1230年)18歳の時に姉の春子女王の死をきっかけに出家して法号を真如覚とした[1][2]。同母弟である後嵯峨天皇が即位すると、寛元元年(1243年)4月27日に内親王宣下および准三宮宣下があり、同年6月26日に院号宣下が行われた[1][2]。弘安8年(1285年)に73歳で薨去した[1][2]

脚注

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  1. ^ a b c 『日本女性人名辞典』
  2. ^ a b c 『天皇皇族歴史伝説大事典』

参考文献

内親王(飛鳥時代 - 江戸時代)
大宝律令施行(701年)以後で、内親王と公称した人物とする。
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