忠子内親王
忠子内親王(ただこないしんのう、斉衡元年(854年) - 延喜4年5月7日(904年6月23日))は、平安時代前期の皇女。
来歴
光孝天皇と班子女王の間に生まれる。貞観12年(870年)3月26日、清和天皇の後宮として女御となった[1](時に身位は女王)。元慶8年(884年)父の意向で源姓を賜り従三位に進む。弟の宇多天皇の即位後、寛平3年(891年)12月29日、内親王宣下を被って皇籍に復帰し、三品となった。寛平5年(893年)12月20日、班子女王主催で忠子内親王の四十賀が行われた。延喜2年(902年)10月11日に出家する。延喜4年(904年)5月7日薨去。
脚注
参考資料
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内親王(飛鳥時代 - 江戸時代) | |||||
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大宝律令施行(701年)以後で、内親王と公称した人物とする。 | |||||
飛鳥時代 | |||||
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