サーグッド・マーシャル

サーグッド・マーシャル
Thurgood Marshall
1976年の公式ポートレイト
アメリカ合衆国連邦最高裁判所陪席判事
任期
1967年10月2日 – 1991年10月1日[1]
ノミネート者リンドン・B・ジョンソン
前任者トム・C・クラーク(英語版)
後任者クラレンス・トーマス
第32代アメリカ合衆国訟務長官
任期
1965年8月23日 – 1967年8月30日
大統領リンドン・B・ジョンソン
前任者アーチボルド・コックス
後任者アーウィン・グリズウォルド(英語版)
アメリカ合衆国第2巡回区控訴裁判所(英語版)判事
任期
1961年10月5日 – 1965年8月23日
ノミネート者ジョン・F・ケネディ
前任者新設
後任者ウィルフレッド・ファインバーグ(英語版)
個人情報
生誕Thoroughgood Marshall[2]
(1908-07-02) 1908年7月2日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 メリーランド州ボルチモア
死没 (1993-01-24) 1993年1月24日(84歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 メリーランド州ベセスダ
政党民主党
配偶者
  • ヴィヴィアン・ビューリー(英語版)
    (m. 1929; d. 1955)
  • セシリア・スヤット(英語版) (m. 1955)
子供
  • サーグッド・マーシャル・ジュニア(英語版)
  • ジョン・W・マーシャル(英語版)
教育リンカーン大学(英語版) (BA)
ハワード大学 (LLB)

サーグッド・マーシャル(Thurgood Marshall, 1908年7月2日 - 1993年1月24日)は、アメリカ合衆国法律家で、アフリカ系アメリカ人として初めて合衆国最高裁判所判事になった人物である。

経歴

1908年7月2日にメリーランド州ボルチモアで生まれた。彼の祖父は奴隷だった。

1930年、マーシャルはリンカーン大学を卒業した。卒業後、彼はメリーランド大学法科大学院(英語版)に入学を志望した。しかし、白人と有色人種の分離政策のため学校側から受け入れを拒否された。そこで、代わりにワシントンD.C.にあるハワード大学に入学する。在学中の彼は、チャールズ・ハミルトン・ヒューストン(英語版)学部長に大きな影響を受けたとされている。マーシャルは、憲法のもとにおける平等という信条を全てのアメリカ人に実現したいという願望をもつようになる。また彼は、アフリカ系アメリカ人学生により1906年に創設されたフラタニティAlpha Phi Alpha(英語版)」のメンバーにもなった。

1933年、マーシャルはハワード大学を首席で卒業して法学学士の学位を授与され、ボルチモアで個人法律事務所を開業した。そして翌1934年、彼はボルチモアの全米黒人地位向上協会(NAACP:National Association for the Advancement of Colored People)で働き始めた。彼が手がけた最初の大きな市民権事例として「マレイ対ピアソン裁判」がある。この訴訟は、アマースト大学を卒業したドナルド・ゲインズ・マレイという黒人学生が、分離平等政策のためメリーランド大学法科大学院への入学を許されなかったことを不服として訴えたもので、彼は州と争い全面勝訴しただけでなく、この判決が道徳的判決の先例にもなった。

マーシャルは32歳でNAACPの首席弁護人に任命され、32の裁判のうち29で勝訴するという活躍を見せた。その中には、人種統合と公民権運動への道を開いたとされるブラウン対教育委員会裁判がある。 この裁判によって、法律上の全ての人種差別は個人に対する法の平等保護を定めたアメリカ合衆国憲法修正第14条に違反するという判例が確立した。さらにこの判決は1896年の「プレッシー対ファーガソン裁判」における「分離すれども平等」という先例をも覆した。

1967年6月13日リンドン・B・ジョンソン大統領はマーシャルを最高裁判所判事に任命した。同年8月30日上院に承認され、10月2日に宣誓のうえ就任した。これは、96番目にして初めての、アフリカ系黒人最高裁判所判事の誕生だった。

1991年、引退を発表。1992年ベンジャミン・フランクリン・メダル受賞。1993年1月24日、午後2時にメリーランド州にあるベセスダ海軍病院で心臓麻痺により死去した。

参考文献

  1. ^ “Justices 1789 to Present”. Washington, D.C.: Supreme Court of the United States. 2022年2月16日閲覧。
  2. ^ Lewis, Neil (1991年6月28日). “A Slave's Great-Grandson Who Used Law to Lead the Rights Revolution”. The New York Times. https://www.nytimes.com/1991/06/28/us/a-slave-s-great-grandson-who-used-law-to-lead-the-rights-revolution.html 2010年5月18日閲覧。 

関連項目

外部リンク

  • American Public Radio: Cissy Marshall(英語)
 
  1. ジョン・ジェイ (1789–1795(英語版)判例(英語版))
  2. ジョン・ラトリッジ (1795(英語版)判例(英語版))
  3. オリバー・エルスワース (1796–1800(英語版)判例(英語版))
  4. ジョン・マーシャル (1801–1835(英語版)判例(英語版))
  5. ロジャー・B・トーニー (1836–1864(英語版)判例(英語版))
  6. サーモン・P・チェイス (1864–1873(英語版)判例(英語版))
  7. モリソン・ワイト(英語版) (1874–1888(英語版)判例(英語版))
  8. メルヴィル・フラー(英語版) (1888–1910(英語版)判例(英語版))
  9. エドワード・ダグラス・ホワイト (1910–1921(英語版)判例(英語版))
  10. ウィリアム・ハワード・タフト (1921–1930(英語版)判例(英語版))
  11. チャールズ・エヴァンズ・ヒューズ (1930–1941(英語版)判例(英語版))
  12. ハーラン・F・ストーン (1941–1946(英語版)判例(英語版))
  13. フレッド・M・ヴィンソン (1946–1953(英語版)判例(英語版))
  14. アール・ウォーレン (1953–1969(英語版)判例(英語版))
  15. ウォーレン・E・バーガー(英語版) (1969–1986(英語版)判例(英語版))
  16. ウィリアム・レンキスト (1986–2005(英語版)判例(英語版))
  17. ジョン・ロバーツ (2005–現職判例(英語版))
 
  1. J・ラトリッジ* (1790–1791)
  2. クッシング (1790–1810)
  3. ウィルソン (1789–1798)
  4. ブレア (1790–1795)
  5. アイアデル (1790–1799)
  6. T・ジョンソン (1792–1793)
  7. パターソン (1793–1806)
  8. S・チェイス (1796–1811)
  9. ワシントン(英語版) (1798–1829)
  10. ムーア(英語版) (1800–1804)
  11. W・ジョンソン(英語版) (1804–1834)
  12. リビングストン (1807–1823)
  13. トッド(英語版) (1807–1826)
  14. デュバル(英語版) (1811–1835)
  15. ストーリー(英語版) (1812–1845)
  16. トンプソン (1823–1843)
  17. トリンブル(英語版) (1826–1828)
  18. マクレーン (1829–1861)
  19. ボールドウィン(英語版) (1830–1844)
  20. ウェイン(英語版) (1835–1867)
  21. バーバー(英語版) (1836–1841)
  22. カトロン(英語版) (1837–1865)
  23. マッキンレー(英語版) (1838–1852)
  24. ダニエル(英語版) (1842–1860)
  25. ネルソン(英語版) (1845–1872)
  26. ウッドベリー (1845–1851)
  27. グリア(英語版) (1846–1870)
  28. カーティス(英語版) (1851–1857)
  29. キャンベル(英語版) (1853–1861)
  30. クリフォード (1858–1881)
  31. スウェイン(英語版) (1862–1881)
  32. ミラー(英語版) (1862–1890)
  33. デイヴィス(英語版) (1862–1877)
  34. フィールド(英語版) (1863–1897)
  35. ストロング(英語版) (1870–1880)
  36. ブラッドリー(英語版) (1870–1892)
  37. ハント(英語版) (1873–1882)
  38. J・M・ハーラン(英語版) (1877–1911)
  39. ウッズ(英語版) (1881–1887)
  40. マシューズ(英語版) (1881–1889)
  41. グレイ(英語版) (1882–1902)
  42. ブラッチフォード(英語版) (1882–1893)
  43. L・ラマー(英語版) (1888–1893)
  44. ブルーワー(英語版) (1890–1910)
  45. ブラウン(英語版) (1891–1906)
  46. シラス(英語版) (1892–1903)
  47. H・ジャクソン(英語版) (1893–1895)
  48. E・ホワイト* (1894–1910)
  49. ペッカム(英語版) (1896–1909)
  50. マッケナ(英語版) (1898–1925)
  51. ホームズ (1902–1932)
  52. デイ (1903–1922)
  53. ムーディ (1906–1910)
  54. ラートン(英語版) (1910–1914)
  55. ヒューズ* (1910–1916)
  56. ヴァン・ドヴァンター(英語版) (1911–1937)
  57. J・ラマー(英語版) (1911–1916)
  58. ピツニー(英語版) (1912–1922)
  59. マクレイノルズ(英語版) (1914–1941)
  60. ブランダイス (1916–1939)
  61. クラーク(英語版) (1916–1922)
  62. サザーランド(英語版) (1922–1938)
  63. バトラー(英語版) (1923–1939)
  64. サンフォード(英語版) (1923–1930)
  65. ストーン* (1925–1941)
  66. O・ロバーツ(英語版) (1930–1945)
  67. カードーゾ (1932–1938)
  68. ブラック (1937–1971)
  69. リード(英語版) (1938–1957)
  70. フランクファーター (1939–1962)
  71. ダグラス(英語版) (1939–1975)
  72. マーフィー(英語版) (1940–1949)
  73. バーンズ (1941–1942)
  74. R・ジャクソン (1941–1954)
  75. W・ラトリッジ(英語版) (1943–1949)
  76. バートン(英語版) (1945–1958)
  77. クラーク(英語版) (1949–1967)
  78. ミントン(英語版) (1949–1956)
  79. J・M・ハーラン2世(英語版) (1955–1971)
  80. ブレナン (1956–1990)
  81. ウィテカー(英語版) (1957–1962)
  82. スチュワート(英語版) (1958–1981)
  83. B・ホワイト (1962–1993)
  84. ゴールドバーグ(英語版) (1962–1965)
  85. フォータス(英語版) (1965–1969)
  86. T・マーシャル (1967–1991)
  87. ブラックマン (1970–1994)
  88. パウエル(英語版) (1972–1987)
  89. レンキスト* (1972–1986)
  90. スティーブンス (1975–2010)
  91. オコナー (1981–2006)
  92. スカリア (1986–2016)
  93. ケネディ (1988–2018)
  94. スーター (1990–2009)
  95. トーマス (1991–現職)
  96. ギンズバーグ (1993–2020)
  97. ブライヤー (1994–2022)
  98. アリート (2006–現職)
  99. ソトマイヨール (2009–現職)
  100. ケイガン (2010–現職)
  101. ゴーサッチ (2017–現職)
  102. カバノー (2018–現職)
  103. バレット (2020–現職)
  104. K・ジャクソン (2022–現職)
*首席判事も務めた人物
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