浅木泰昭

浅木 泰昭

あさき やすあき
生誕 1958年(65 - 66歳)
日本の旗 日本広島県
業績
専門分野 自動車エンジニア
所属機関 本田技研工業(1981年 - 2023年)
勤務先
プロジェクト ホンダF1
設計
成果 ホンダN-BOX - 軽4輪新車販売台数9年連続首位(2023年時点)

浅木 泰昭(あさき やすあき、1958年 - )は、日本自動車技術者、モータースポーツ解説者。元・本田技術研究所執行役員。広島県出身。長年エンジン開発の部門を歴任し、軽自動車ホンダ・N-BOXの開発責任者などを担当。後年は、ホンダF1プロジェクトリーダーを務めた[1]

略歴

1981年本田技研工業(ホンダ)に入社、本田技術研究所に配属される。入社直後はエンジンテストチームの担当となるが、翌1982年フォーミュラ1(F1)エンジンの開発チームに異動し、第2期ホンダF1の初期の活動に関わった[1]。当時は「F1エンジンのテストをしているのは自分と上司の2人だけだった」という[2]

1986年には市販車開発に戻り、レジェンドオデッセイ(初代)などのエンジン開発に携わる。初代オデッセイの開発では、当初は6気筒エンジンの開発を命じられていたにもかかわらず、勝手に4気筒エンジンの開発を始め、上司と衝突してもやめなかったという伝説が残っている[1]1995年からはホンダ版の気筒休止エンジンシステムである「可変シリンダーシステム(VCM)」を搭載したV型6気筒エンジン(J30系列)の開発を手掛け[2]インスパイア(4代目)やエリシオンなどに搭載された。

2004年にはホンダ本社の商品企画室に異動。2008年からは新型軽自動車(後のN-BOX)のLPL(ラージプロジェクトリーダー、開発責任者)となる。N-BOXの開発では、社長の伊東孝紳の同意を得て、栃木研究所(四輪R&Dセンター)からエンジニアを鈴鹿製作所に呼び寄せ工場のスタッフと共同で開発を行う「工場内開発」を導入したほか、現場への権限委譲も進めた[3]。結果としてN-BOXは大成功し、浅木は「ホンダの救世主」とも呼ばれた[4]。以後ホンダの自動車部門における商品開発責任者となり、ホンダの新車開発の指揮を執った。

2017年、当時の本田技術研究所社長だった松本宜之が、浅木をホンダF1のLPLに起用する方針を固める。同時点で浅木は定年退職まであと半年というタイミングであり、当初はあまり乗り気ではなかったが、ある用事で開発拠点の「HRD Sakura」を訪れた際に開発の方向性を見失い自信を無くしている若手エンジニアを見て、定年を延長した上でLPLを引き受けることに同意[1]。以後ホンダF1のパワーユニット(PU)開発の総指揮を執り、2021年・2022年のマックス・フェルスタッペンによるF1ドライバーズチャンピオン、2022年のレッドブル・レーシングによるF1コンストラクターズチャンピオン獲得に貢献した。

2021年限りでホンダがF1の第4期活動を終了したことに伴い、PUの供給を引き継いだホンダ・レーシング(HRC)に2022年に移籍。同社常務取締役・四輪レース開発部長として引き続きPUの開発及び供給に携わったが、2023年4月末でHRCを退職した[5]。退職後は「特に誰からも声かけられていないので、予定はない」[6]と語りつつ、DAZN『Wednesday F1 Time』などに出演して評論活動を行っている。

人物

趣味は釣りゴルフ温泉巡り[7]。本来2018年で定年退職となる予定だったが、当時は「退職したら釣りにでも行こう」と思っていたという[4]

自身の中で過去の開発案件の難易度に順位をつけると「VCM>N-BOX>F1」の順になるという[6]

書籍

  • 『危機を乗り越える力』(集英社、2024年)ISBN 978-4-7976-7445-3

参考文献

  • 『歓喜 ホンダF1 苦節7年、ファイナルラップで掴みとった栄冠』(尾張正博著、インプレス、2022年)ISBN 978-4295013655

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d 定年半年前、F1開発トップに呼び戻された ホンダをよみがえらせたベテラン技術者の足跡 - 朝日新聞 GLOBE+・2020年7月6日
  2. ^ a b 『歓喜』p.91
  3. ^ 女性にモテる車を連発、元F1技術者のホンダ改革 - NIKKEI WOMAN SMART・2013年6月10日
  4. ^ a b 『歓喜』p.92
  5. ^ ホンダの成功を支えた”勇者”浅木泰昭氏が退職へ。第4期F1活動でパワーユニット開発を指揮 - motorsport.com 2023年2月21日
  6. ^ a b ホンダを4月末で定年退職する浅木泰昭氏も登壇した、F1オーストラリアGPパブリックビューイング - Car Watch・2023年4月3日
  7. ^ 開発にあたって
日本の旗 ホンダF1
第五期
2026年 -
パワーユニット供給
主な関係者
  • (TBD)
第五期



供給先
関連組織
HRC
2022年 - 2025年
パワーユニット供給
主な関係者
元関係者
  • 日本の旗 浅木泰昭
供給先
関連組織
第四期
2015年 - 2021年
パワーユニット供給
主な関係者
  • 日本の旗 新井康久
  • 日本の旗 長谷川祐介
  • 日本の旗 田辺豊治
  • 日本の旗 山本雅史
  • 日本の旗 浅木泰昭
第四期
供給先
関連組織
第三期
2006年 - 2008年
ワークスチーム

2000年 - 2008年
エンジン供給
主な関係者
日本の旗 本田技研工業
  • 日本の旗 福井威夫
  • 日本の旗 和田康裕(英語版)
  • 日本の旗 村松慶太(英語版)
日本の旗 本田技術研究所
イギリスの旗 HRD※1
イギリスの旗 HRF1※1
第三期


ドライバー
テスト/リザーブドライバー:
車両
主なスポンサー
エンジン供給先
関連組織
HRD
1998年 - 1999年
試作・試走のみ
主な関係者
車両
関連組織
無限ホンダ
1992年 - 2000年
エンジン供給
主な関係者

エンジン
供給先
関連組織
本田技術研究所
1991年 - 1994年
試作・試走のみ
主な関係者
  • 日本の旗 橋本健
  • 日本の旗 瀧敬之介
車両
  • RC1 (RC-F1 1.0X)
  • RC1B (RC-F1 1.5X)
  • RC2 (RC-F1 2.0X)
関連組織
第二期
1983年 - 1992年
エンジン供給
主な関係者
第二期
エンジン
供給先
関連組織
関連項目
第一期
1964年 - 1968年
ワークスチーム
主な関係者
日本の旗 本田技研工業
日本の旗 本田技術研究所
イギリスの旗 ホンダ・レーシング
第一期
ドライバー
テスト/リザーブドライバー:
車両
主なスポンサー
関連組織
関連項目
関連項目
※ 第2期・第3期・第4期の「主な関係者」は、基本的に各部門の「長(ディレクター)」以上にあたる人物のみに絞って記載(多数に及ぶため)。
※ 「関連組織」の( )には略称、[ ]には関連する下部組織を記載。
※1 ホンダ本社の役職者と本田技術研究所の人物を除く(兼務者が多数に及ぶため)。
※2 ホンダ所有のサーキット。第1期と第2期に主要なテストコースとして用いられた。
※3 ホンダ所有の展示施設。第1期から第4期の車両を所蔵(基本的に動態保存)している。