飛鳥井雅経

 
凡例
飛鳥井 雅経
飛鳥井雅経
時代 平安時代末期 - 鎌倉時代前期
生誕 嘉応2年(1170年
死没 承久3年3月11日(1221年4月5日
官位 従三位参議
主君 安徳天皇後鳥羽天皇土御門天皇順徳天皇
氏族 難波家飛鳥井家
父母 父:難波頼経、母:源顕雅の娘
猶父:源頼朝
兄弟 難波宗長雅経、難波頼教、難波経長、難波良平、難波輔長、経豪、厳海
正室:大江広元の娘
教雅、教定、教経、藤原忠継室、安達義景継室
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飛鳥井 雅経(あすかい まさつね)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿歌人刑部卿難波頼経の次男[1]。二条または明日香井を号す。官位従三位参議飛鳥井家の祖。小倉百人一首では参議雅経

経歴

治承4年(1180年)叙爵し、以後侍従などを歴任するが、源頼朝義経兄弟が対立した際に義経と親しかった父・頼経が配流され、雅経も連座して鎌倉に護送される。だが、雅経は頼朝から和歌蹴鞠の才能を高く評価され、頼朝の息子である頼家実朝とも深く親交を結んだ。その結果、頼朝から猶子として迎えられ、更に鎌倉幕府政所別当大江広元の娘を正室とするなど重んじられた。建久8年(1197年)に罪を許されて帰京する際には、頼朝から様々な贈物を与えられた。

その後、後鳥羽上皇近臣として重んじられ、建保6年(1218年)には従三位に叙せられ、承久2年(1220年)には参議に任命された。また、院における歌壇でも活躍している。和歌は秀句を好み、後鳥羽上皇に「雅経は、殊に案じかへりて歌詠みしものなり(=雅経はとりわけあれこれ思いめぐらして歌を詠む者である)」[2]と評されたが、本歌のことばをとりすぎるという批判もあった。

建仁元年(1201年)7月和歌所寄人となり、また同年11月には上古以来の和歌を撰進する。更にこれを機に始まった勅撰和歌集新古今和歌集』(元久2年(1205年)奏進)の撰者の一人となった。更に蹴鞠でも重んじられ、承元2年(1208年)に大炊御門頼実が後鳥羽上皇を招いて開いた鞠会で優れた才能を発揮して、上皇から「蹴鞠長者」の称号を与えられた。後に雅経は飛鳥井流蹴鞠の祖とされ、『蹴鞠(しゅうきく)略記』などを著した。また、鎌倉幕府の招きによって鎌倉へ度々下向し、3代将軍になった実朝と藤原定家鴨長明との間を取り持っている。

日記に『雅経卿記』、家集に『明日香井集』があり、『新古今和歌集』(22首)以下の勅撰和歌集に132首が入集している[3]

系譜

関連作品

テレビドラマ

脚注

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  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 36頁。
  2. ^ 『後鳥羽院御口伝』
  3. ^ 『勅撰作者部類』

参考文献

  • 安田元久 編『鎌倉室町人名事典』37頁 新人物往来社、1990年
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ウィキクォートに飛鳥井雅経に関する引用句集があります。
飛鳥井家初代当主
宗家
  1. 雅経
  2. 教定
  3. 雅有
  4. 雅孝
  5. 雅家
  6. 雅縁
  7. 雅世
  8. 雅親
  9. 雅俊
  10. 雅綱
  11. 雅春
  12. 雅敦
  13. 雅庸
  14. 雅胤
  15. 雅章
  16. 雅知
  17. 雅直
  18. 雅豊
  19. 雅香
  20. 雅重
  21. 雅威
  22. 雅光
  23. 雅久
  24. 雅典
  25. 雅望
  26. 恒麿
  27. 雅信
  28. 雅道
  29. 雅慶
庶流
教雅流
  1. 教雅
  2. 兼教
  3. 雅綱
  4. 教藤
  5. 教春
雅康流
  1. 雅康
  2. 頼孝
  3. 雅量
  4. 虎熊丸(以降鹿持家)
雅古流
  1. 雅古
  2. 雅四
  3. 雅仁
  4. 雅之
  5. 雅崇
分家
鹿持家
  1. 鹿持雅春
  2. 鹿持正知
  3. 鹿持雅房
  4. 鹿持雅武
  5. 鹿持雅澄
  6. 鹿持雅慶(以降改姓し雅古流)
柳村家
  1. 柳村安治
  2. 柳村惟恒
  3. 柳村惟政
  4. 柳村惟則
  5. 柳村雅君
藤枝家
  1. 藤枝雅之
  2. 藤枝雅脩
  3. 藤枝雅保
歌人(一覧)
関連項目
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