長谷川重三郎

長谷川 重三郎(はせがわ じゅうざぶろう、1908年11月5日 - 1985年3月4日)は、日本の経営者第一銀行頭取、全国銀行協会会長(第25代)を務めた。東京都出身[1]

経歴・人物

実父は渋沢栄一[2]、妾との間に生まれたと言われる[3]。一説には、渋沢の13番目の子供ということで「じゅう3郎」というところから「重三郎」と名付けられたという[4]

1932年東京帝国大学経済学部を卒業し、第一銀行に入行[1]1956年5月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1962年5月に副頭取に就任し、1966年3月に頭取に昇格した[1]1968年には全国銀行協会会長に就任。

頭取としては第一銀行と三菱銀行の合併を目指した。当時の三菱銀行頭取である田実渉とは戦前からの親しい仲で、6歳年上の田実に長谷川が可愛がられていたという[5]。実際に1968年12月には合併契約書への調印にまでこぎつけるが、翌1969年1月1日に読売新聞がこの合併話をスクープしたのを契機に、会長の井上薫ら合併反対派の巻き返しに遭い、結局1月13日に合併話は白紙撤回された[4]。これら行内の混乱の責任を取る形で、長谷川は同年4月に取締役相談役に退いた[1]。また全国銀行協会会長もほぼ同時に辞任している。

1985年3月4日肝硬変のために死去[6]。76歳没。

脚注

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  1. ^ a b c d 興信データ株式會社 1985, は57頁.
  2. ^ 長谷川 重三郎 - コトバンク
  3. ^ 「NHK大河ドラマではやはり描きづらい」20人の婚外子をもうけた渋沢栄一の”婦人ぐるい” - PRESIDENT Online・2021年12月26日
  4. ^ a b 「第一銀行と三菱銀行が合併!!」 1969年「読売新聞」元旦特大スクープは、いかに『大逆転』され『呪縛』のもととなったか - WEZZY・2019年1月1日
  5. ^ 「大逆転!」(高杉良経済小説全集 第7巻、角川書店、1996年)p.226
  6. ^ 1985年 3月5日 日本経済新聞 夕刊 p11

参考文献

  • 興信データ株式會社『人事興信録 第33版 下』興信データ、1985年。 
先代
井上薫
第一銀行頭取
1966年 - 1969年
次代
井上薫