湖山村

こやまそん
湖山村
湖山村建立の慰霊碑
湖山村建立の慰霊碑
廃止日 1953年7月1日
廃止理由 編入合併
神戸村、大和村、美穂村、大正村、東郷村、明治村、豊実村、松保村、大郷村、吉岡村、千代水村湖山村末恒村、倉田村、面影村鳥取市
現在の自治体 鳥取市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
気高郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 12.1 km2
総人口 3,354
(国勢調査、1950年)
隣接自治体 鳥取市、松保村、大郷村、千代水村、末恒村
湖山村役場
所在地 鳥取県気高郡湖山村字産水上ノ道1602番地[1]
地図
旧・湖山村役場庁舎位置
座標 北緯35度30分58秒 東経134度10分45秒 / 北緯35.516131度 東経134.179028度 / 35.516131; 134.179028座標: 北緯35度30分58秒 東経134度10分45秒 / 北緯35.516131度 東経134.179028度 / 35.516131; 134.179028
特記事項 村役場は合併後、公民館として使用。現在の消防格納庫の位置に所在した[2]
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湖山村(こやまそん)は、鳥取県高草郡気高郡にあった自治体である。

概要

現在の鳥取市湖山町・湖山町北・湖山町西・湖山町東・湖山町南におおむね相当する。湖山池北東部に位置し、村の中央を湖山川が流れて日本海へと注いでいた。

この地区の前身である宇文・溝口の両村民が、布勢天神山城主の山名誠通に忠節を尽くしたことにより、その褒章の一つとして「小山村」を受けてその名が使用されていたが、当時からここの景観を礼讃し、中国の西湖に擬して「湖山」と名付けていたことからやがて湖山村となったとされる[3]

天明5年(1785年)に湖山砂丘(広義の鳥取砂丘の一部)の開拓が始められた。当時、鳥取と米子間の往来が砂丘地帯を通ることに悩まされていたため便宜を図るのと同時に新しく耕地を作るという動機から、米子の船越作左衛門がこの地に定住し鳥取藩の許可を得て砂丘開拓に着手した。開拓は甥の次郎左衛門やその養子へと代々継承され、明治になってからは主に湖山茶屋区の上山吉治とその分家の上山昇により、戦前までの156年に亘る開拓が完成された[3]

1929年(昭和4年)には当村が開墾による桑園のために県下三大養蚕地帯となっていたことから日本製糸工場が鳥取市から移転した。その後、1942年(昭和17年)に軍需産業転換により日本製糸工場が福田軽飛行機に売却され、同社が試験滑走路を村内に設置、1944年(昭和19年)に旧陸軍航空機練習機飛行場となり、翌年陸軍不時着飛行場となった。これにより開拓地の大部分が犠牲となり砂防植樹も伐採された[3][4][5]

戦後、県は財政の基礎を充実し行政水準を高めるためには小規模自治体は合併すべきとして、1952年(昭和27年)7月21日に鳥取市と周辺19ヶ村の合併を勧告した。しかし市は4月17日鳥取大火の直後であり財政的にも苦しく火災復興にも遅れを生じ、また今合併しても何の効果もなく合併村側に迷惑をかけるとして当村長の上山雄次郎など一部が最後まで反対した。5月の臨時市議会では合併議案をめぐって大いにもめ、最後は反対派議員欠席のまま本会議を再開、出席議員23人全員の賛成で合併は可決された。結局19ヶ村のうち宇倍野村・大成村(後の国府町)など4ヶ村を除く15ヶ村が7月1日に合併した(その後米里村と津ノ井村は数年後に合併、国府町は平成に入って合併した)[6]

沿革

  • 元禄14年(1701年) - 湖山村から枝郷の倉見村を分村[7]
  • 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
  • この間、高草郡湖山村外八ヶ村連合戸長役場を湖山村に設置し、同村および三山口村・良田村・高住村・桂見村・布勢村・足山村・岩吉村・里仁村を管轄[8]
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、連合戸長役場管轄区域のうち湖山村が単独で自治体を形成して高草郡湖山村が発足。大字は編成せず。なお他の八ヶ村は合併して松保村となった[8]
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、高草郡・気多郡の区域をもって気高郡が発足し、気高郡湖山村となる。
  • 1943年(昭和18年)9月10日 - 鳥取地震発生。湖山村の鳥取測候所で震度6を記録し家屋が倒壊[9]
  • 1953年(昭和28年)7月1日 - 鳥取市に編入。同日湖山村廃止[10]日進小学校で合併式典が挙行される[6]
  • 1953年(昭和28年)7月15日 - 旧湖山村を湖山町に変更[11]

合併後

現在の鳥取市自治連合会の地区別単位組織では湖山地区・湖山西地区とされている[12]。また、校区としての湖山小学校区・湖山西小学校区は湖山地区・湖山西地区におおむね相当するが、湖山小学校区は松保地区(旧松保村)の足山・岩吉(山陰本線より北)を含む。

行政

戸長

  • 湖山村外八ヶ村連合戸長役場:村上喜一郎 - 田中善作 - 森直治 - 村上喜一郎

歴代村長

氏名 就任年月日 退任年月日 備考
影井文三郎 1889年(明治22年) 1889年(明治22年)
2 上山専五郎 1889年(明治22年) 1896年(明治29年)
3 上山多七 1896年(明治29年) 1900年(明治33年)
4 井上芳蔵 1900年(明治33年) 1905年(明治38年) 退任後、日野郡江尾村・日光村、
岩美郡田後村等の村長を歴任
5 上山昇 1905年(明治38年) 1909年(明治42年)
6 上山源蔵 1909年(明治42年) 1915年(大正4年)
7 森十治 1917年(大正6年) 1927年(昭和2年)
8 井上芳蔵 1928年(昭和3年)5月 1936年(昭和11年) 再選
9 田中道夫 1936年(昭和11年) 1946年(昭和21年)
10 上山雄次郎 1946年(昭和21年) 1953年(昭和28年)6月30日 後に鳥取市議会議員となる
参考文献 -
湖山小学校創立百周年記念誌(湖山小学校創立百年記念事業実行委員会、1973年)
市町村治績録 改訂第2版(日本自治協会、1930年)

教育

当時の主要施設

  • 日本製糸(株)工場 - 1929年(昭和4年)に鳥取市寺町から移転、現在の湖東中学校の敷地に所在した。なお、当時の鳥取市にとっては唯一の大規模工場の移転のため、これに代わる製糸工場の立地が望まれ、1932年(昭和7年)に全国に工場展開を進めていた郡是製糸工場を美保村と共同で誘致した[3]

交通

鳥取市との交通は旧藩時代から明治にかけては水路が利用され、湖山池から湖山川を下って賀露に出て袋川を通るのが順路であった。その後の交通網の整備により水運は次第に衰退していった[3]

鉄道

飛行場

  • 旧陸軍飛行場は鳥取市合併後の1957年(昭和32年)にその設備を利用して市営鳥取飛行場として開業、1964年(同39年)廃止。1967年(同42年)に北側隣接地に県営の鳥取空港が設置された[4]

出身者

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 鳥取県気高郡勢要覧 大正11年(鳥取県気高郡、1924年)
  2. ^ 公民館の沿革(鳥取市立湖山地区公民館)
  3. ^ a b c d e 鳥取市七十年 : 市史(鳥取市、1962年)
  4. ^ a b 鳥取砂丘コナン空港・沿革(鳥取県 県土整備部空港港湾課)
  5. ^ 日本レイヨン編 第2章 戦時体制下での苦節(昭和12年 - 20年)(ユニチカ百年史)
  6. ^ a b 千代水村誌(橋本寿雄、1983年)
  7. ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「湖山村(近世)」
  8. ^ a b 松保郷土誌(松保郷土誌編集委員会、1995年)
  9. ^ 鳥取地震の概要(鳥取地方気象台
  10. ^ 「鳥取県告示第279号・市町村の廃置分合」『鳥取県広報 第2424号』1953年6月23日(鳥取県立公文書館
  11. ^ 「鳥取県告示第329号・湖山村外鳥取市編入14村の大字の廃止及び町の設置(旧湖山村→湖山町)」『鳥取県広報 号外第78号』1953年7月21日(鳥取県立公文書館)
  12. ^ 地区別単位組織一覧表(鳥取市自治連合会ホームページ)

関連項目