播磨国地震

播磨国地震
播磨国地震の位置(日本内)
播磨国地震
播磨国地震 (日本)
本震
発生日 グレゴリオ暦868年8月3日
(貞観10年7月8日 (旧暦))[1]
震央 北緯34度48分 東経134度48分 / 北緯34.8度 東経134.8度 / 34.8; 134.8
規模    マグニチュード (M)7.0
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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播磨国地震(はりまのくにじしん)または播磨・山城地震(はりま・やましろじしん)は、平安時代前期の貞観10年7月8日 (旧暦)(ユリウス暦868年7月30日, グレゴリオ暦8月3日)、播磨国で発生した地震である。震央は現在の兵庫県姫路市付近、規模はマグニチュード 7 程度で、山崎断層の活動によるものと考えられている[2]

播磨諸郡の官舎・諸定額寺堂塔がことごとくくずれ倒れ、平安京内外で建造物がところどころ崩壊した[3][4]。約1年後の貞観11年5月26日 (旧暦)(869年7月13日)、 陸奥国東方沖でM8.3以上と推定される貞観地震が発生している。

脚注

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  1. ^ 日本付近のおもな被害地震年代表>16世紀以前(-1600) 日本地震学会
  2. ^ 岡田篤正、安藤雅孝、佃為成 (1987) : 山崎断層系安富断層のトレンチ調査 地学雑誌 96巻 (1987-1988) 2号 p.81-97, doi:10.5026/jgeography.96.2_81
  3. ^ “【北村理が紐解く災害列島】(9)祇園祭の神は「地震神」だった…社建立地点と断層の“奇妙な一致””. 産経新聞. (2013年12月7日). https://web.archive.org/web/20160505225713/http://www.sankei.com/west/news/131207/wst1312070084-n1.html 2016年4月19日閲覧。 
  4. ^ 日本三代実録
1884年以前に日本で発生した主な地震歴史地震
 
- 1749年
古墳時代
飛鳥時代
奈良時代
平安時代
  • 弘仁(818年、M?)
  • 天長(830年、M7 - 7.5)
  • 伊豆(841年、M7)
  • 出羽(850年、M7.5?)
  • 播磨(868年、M7?)
  • 貞観(869年、M8.3<)
  • 元慶(878年、M7.5<)
  • 仁和(887年、M8<)
  • 山城・近江(976年、M?)
  • 万寿(1026年、M?)
  • 永長(1096年、M8<)
  • 康和(1099年、M?)
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室町時代
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江戸時代前期
 
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1770年 - 1779年
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1790年 - 1799年
 
1800年 - 1849年
1800年 - 1809年
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1810年 - 1819年
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  • 文政近江(1819年、M7.3)
1820年 - 1829年
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1830年 - 1839年
  • 京都(1830年、M6.5)
  • 美濃西部(1833年、M6.3)
  • 庄内沖(1833年、M7.5)
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  • 宮城県沖(1835年、M7.0)
  • 釧路・厚岸(1839年、M7.0)
1840年 - 1849年
 
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