サリーム・チシュティー
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サリーム・チシュティー(ウルドゥー語: سلیم چشتی Salim Chishti, 1478年 - 1572年)は、北インド、チシュティー派のスーフィー聖者。
生涯
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1568年、跡継ぎに恵まれなかったアクバルはファテープル・シークリーに住むイスラーム教の聖者サリーム・チシュティーを訪ね、世継ぎの問題について相談した[1]。すると、彼から息子を授かるだろうとの予言を授けられた。
その後、1569年に王子サリーム(ジャハーンギール)が誕生し、記念としてここに新たな都を造り、アーグラから遷都した[1]。
1572年、サリームは死亡した。
脚注
- ^ a b 神谷(1996)pp.118-125
参考文献
- 神谷武夫『インド建築案内』TOTO出版、1996年。