オリブリオス

オリブリオス
Olybrius
西ローマ皇帝
オリブリオスの肖像が彫られたコイン
在位 472年7月11日 - 10月23日

全名 フラウィウス・アニキウス・オリュブリウス
出生 430年
死去 472年
配偶者 プラキディア
子女 アニキア・ユリアナ
父親 アニキウス・プロブス
母親 アデルフィア
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オリブリオスまたはフラウィウス・アニキウス・オリュブリウスFlavius Anicius Olybrius)は西ローマ帝国皇帝(在位:472年7月11日 - 10月23日)。ローマ貴族階級の出身。西ローマ皇帝ペトロニウス・マクシムスとは親戚関係がある。

ローマ市がヴァンダル族の王ガイセリックによって455年に略奪された後、コンスタンティノープルに逃れ、464年に同地でコンスルに就任した。この頃に西ローマ帝国皇帝ウァレンティニアヌス3世の皇女プラキディア(Placidia)と結婚。 ガイセリックはかねてより(すでに461年465年に)オリブリオスを西ローマ皇帝に担ぎ出そうと諮っていたが、オリブリオスが結婚によってガイセリックの息子フネリック(プラキデアの長姉エウドキアを娶っていた)と義兄弟になったため、ガイセリックはこの機をとらえて、オリブリオスを西ローマの帝位に祭り上げた。

472年東ローマ帝国皇帝レオ1世によって、西ローマ皇帝アンテミウスを支えるべくイタリア半島に遣わされるが、アンテミウスと対立するリキメルと交渉して、不本意ながらも皇帝として宣言し、競争相手を殺害して反対者のないなか帝位に就いた。オリブリオスはプラキディアと結婚したため、テオドシウス朝最後の皇帝と見做しうる。その治世はあっけなくもつつがなく終わった。プラキディア夫人や娘アニキア・ユリアナに先立ち、472年に自然死した。


参考文献

パブリックドメイン この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "OLYBRIUS". Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press.

西ローマ皇帝(472年)
テオドシウス朝

ホノリウス393-423 / コンスタンティヌス3世409-411 / コンスタンス2世409-411 / プリスクス・アッタルス409-410 / コンスタンティウス3世421 / ヨハンネス423-425 / ウァレンティニアヌス3世424-455

テオドシウス朝断絶後
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